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ポートレートのススメ「本質の時代へ」

Vol.1 本質の時代へ
10年近く続けてきた計算になる。
途中、リニューアルしたのが一回。ここで復活ともなれば2度目のリニューアルということになる。
ここに来てまたも復活かと思うと、少なからずも腰が定まらない自分のスタンスのような気もするのだが、
今回のサイトリニューアルはかなり大きな変貌も見せ、自分の立ち位置、スタンスを新たに作り始めていることに気づきもする。
そんな中で改めて、僕なりの「ポートレート」といういわばライフワーク的な仕事に対する
思いや、願いや、はたまた意識であったりするところを問い直してみた時に
これだけは最初に書き始めた頃からなんら変わることなく、それどころか
大袈裟かもしれないが自分の奥深いながら芯を流れる一本の川に成長していることに気がついた。
その思い自体に少しは自信が持てるようになったのか?(笑)
それは正直定かではないのだが、「継続」への持つ力を信じて今一度続けてみようと思う。
おつきあいいただければ幸いです。
さて、今テーマ「本質の時代へ」
ごく最近の取材で「これからは、本質を求める時代。本物を追求する時代になった。」とお聞きした。
まずは、本質とは何か?ということになるのだが、
僕の中では、本質・本物という言葉を「素の自分」という言葉に訳してみた。
思い起こせば、このポートレートのススメを書き始めた10年前から
間違いなく「素のあなたを撮りたい」と言い続けて来た。
写真というものは、実はとても正直で特に人物撮影となると
どれほど着飾ざろうともどこかに「素」の自分は映り込んでくるものと思う。
それを隠し、見栄え良く魅せるのが仕事でしょ!と言われようが
僕は一貫してそれを拒絶してきたように思える。
どんなに着飾り、修飾して見た目艶やかに、華やかに出来ようとも
その人本来の魅力が出せない写真などなんの価値もない。
その核なる思いは10年経とうがなんら変わりなく思い続けている。
ダメなものはダメなのである。
こう言い放ってしまうことで、これまで多くの誤解を招いてきたのは事実。
素=ありのままの自分 ここに大きな思い込みがあるようだ。
本当の自分なんて見せられない。私(僕)なんか綺麗じゃないし、イカしてないし、どうせどうせ自分なんか。。。
この「どうせ自分なんか。。。」という言葉にはよくよく苦しめられた(笑)
一体何と比較しているのか?
全部が全部と言ってしまうと語弊があるが
タレント、役者、モデルなど。。。対象としているのが一様にしてビジュアルを商売にしている人たちであることが至極の多数である。
つくづく考えて欲しいと思うのは 彼らは、それこそその容姿で商売している。金を稼いでる。
いわば夢を売る仕事として容姿に金をかけ、自己抑制し実は毎日それはそれは苦しくも努力を重ねているのだ。
もともと対峙するスタンスが全く違っているにも関わらず
テレビ、雑誌、などで見える一瞬の輝きの部分と今の自分とを比較対象しているように思えて仕方ない。
素=ありのままの自分 は決して醜いものでも隠したいものでもなんでもない。
本当の自分の魅力というのは、各個人その人だからこそ持てる魅力のことをいう。
それこそ実は誰でもこの世に生き続けているということだけで魅力は備わっている。
だってみんな一生懸命生きてる瞬間ってあるでしょ。
ただ人は、特に日本人は自分自身を表現することがどうも苦手であるようだ(自分も含めてではあるが)
僕のポートレート撮影は、あくまでその人本来の魅力を探しだし表現することであり
その魅力を本人に伝えてあげること。
どんな人でもきちんと自分の魅力が判りさえすれば、きっとその後の人生が変わってくる。僕はそう信じている。
だから、毎回撮影イベントと称して行っているポートレート撮影会のテーマは
「自分を再発見する一枚の写真」なのである。
今の世の中誰もが楽観的に生活しているとは思えない、あの成長期の日本を思えば確実に少ないはずだ。
ある種浮き足立った時代は間違いなく終わった。
不安な将来だからこそ今求められているのは「嘘」ではなく「本当」ではないのか?
そのもの自体の「本質」なのではないか?
そんな思いのもと、これからこのポートレートの持つべき意味を含めた
僕の意思を書かせてもらいたいと思います。
フォトグラファー
菅野勝男


