言葉」という力は、強いなあと思う。
「歌」という力もまた強いなあと思う。
存在するビジュアルとは違って、言葉はそして歌は全ての人の想像を掻き立てせる。同時にそれぞれの想いの中でその言葉たちは、やはりそれぞれに形を変えて自らの心に訴えかけ力になり勇気を持たせてくれる
写真はどうだろう?
現実というものを突きつけることで、もしかしたら、打ちのめされるかもしれない。もしかしたら、逃げ場ひとつあたえることなく
どん底に突き落とすだけの証言としか存在しないのかもしれない。誰もが、目を背けたくなるような過酷な現実を伝えることだけが写真というものの仕事だとしたら、一体僕たちはなんのために撮り続けなくてはならないのだろう?
撮ることが仕事ではない。伝えることが仕事なんじゃないか。と思う。
残念ながら、僕らの力ではどうしようも出来ないことがこの世の中には星の数ほど存在する。何も出来ない不甲斐なさと無力さ。そして、自分の力無さを噛みしめながらも、本当を伝えることへの執着心をどこまでも求めることで、何を期待をし、願い、祈るのか?
「最初の一歩」にならないのだろうか?悲しみのどん底に突き落とされた現実。それでも人はそこから這い上がらなくてはいけないその生命が生き続けてい以上這い上がらなくてはいけないそのために、その現実から目を背けることなくその現実を噛みしめるための一歩にはなってはくれないのだろうか?
涙でぐちゃぐちゃになった顔やボロボロになった心や思いにも、やがて人の言葉や歌が力を与えてくれるのであるならば、たとえたかが写真と言えどもその土台となる根源を写真というものが担ってはくれないものだろうかと、ささやかかもしれないがそんな期待を僕は写真にかけてみたいのである。
2012/01/04